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東京地方裁判所 昭和40年(刑わ)4427号 判決 1968年3月23日

主文

被告人らは無罪。

理由

第一  公訴事実の内容とこれに対する総合的判断

本件公訴事実は、

被告人古賀勝は日本民間放送労働組合連合会東京支部連絡会書記長、同隈正之輔は同連絡会常任委員、同具島陽一、同林淳の両名は同連絡会会員であるが、東京都中央区銀座七丁目一番地所在ヤマトビル内、山陽放送株式会社東京支社(支社長戸島志郎)技術課員で右組合東京連委員会常任委員である柳井宣二が右会社の業務に関し好ましからざる行為があつたものとして、昭和四十年五月四日右支社長よりてんまつ書の提出を命ぜられたことを聞知するや、被告人らは、右柳井宣二がメーデーに参加したためにその責任を追求されたものであるとして、同月十日より前後数回にわたり右東京支社に押しかけ、右戸島支社長らに対し柳井に対するてんまつ書提出命令の撤回等を要求して抗議行動をくり返していたところ、

(一)  同月十四日午後零時十五分ごろ、ほか約二十名と共謀のうえ、前同様抗議の目的をもつて右東京支社に押しかけ、同支社事務室内において同支社総務課長兼技術課長本間孝夫(当時四十二才)らに対し、支社長への面会取次等を申し入れたが、右本間孝夫らよりこれを拒絶されたうえ、すみやかに立ち去るよう再三要求を受けたにもかかわらずこれに応ぜず、同日午後零時五十分ごろまで同事務室内に止つて退去しなかつた。

(二)  その際、同日午後零時三十分ごろ同所において、前記本間孝夫を取り囲んだうえ抗議文の朗読を始めたため、同人がその状況を写真撮影したところ、被告人らは、共謀のうえ、口々に「われわれに挑戦する気なのか。」「フィルムをよこせ。」などと怒号して右本間孝夫につめ寄り、同人の背後からその両腕をつかんで引張るなどの暴行を加え、よつて同人に対し治療約五日間を要する右拇指挫創兼左手背打撲挫傷の傷害を負わた

ものである。

というにあるが、

当裁判所において多数の証人、証拠物等を取り調べ、被告人らの弁明を聞き、その供述を求め、これらをし細に検討し、総合した結果によると、次の事実、すなわち、被告人ら四名を含む日本民間放送労働組合連合会東京支部連絡会の者たち二十数名が、昭和四十年五月十四日(以下特に断わらないかぎり年度は昭和四十年をさす。)東京都中央区銀座七丁目一番地ヤマトビル五階山陽放送株式会社東京支社に、支社の技術課員柳井宣二に対する支社側のてんまつ書要求問題(以下柳井問題という。)について、これが柳井に対する不当な処分につながるおそれがあるとする見地から抗議におもむき、午後零時十五分ごろから四十五分ごろまで約三十分間、支社側の意思に反して事務室内にふみとどまつたこと、その間被告人具島が、支社の総務課長兼技術課長本間孝夫の前で支部連の山陽放送社長に対する抗議文を朗読していた際、本間が突然フラッシュをたいてその情況を写真撮影したこと、被告人らが肖像権などをたてにそれに抗議し、フィルムの破棄ないし引き渡しを要求したが、本間に拒否されたため、同人の手からカメラを取り上げようとしてもみあい、その際同人の右拇指等に軽微な傷を負わせたこと等の事実が認められる。支部連の者たちの抗議の情況をみると、事情はともあれ、その言動にはかなり過激な、あるいは執ような面が観取され、良識的観点からも批判されるべき点が少なくない。これが、柳井の前記問題に関連する、社内の秩序を乱すかのように誤解されかねない言動、五月十日以来の柳井問題に関する支社側と支部連側との話し合いにおける激しい応酬の経過、話し合い決裂後さらに十二、十三日両日にわたつて行なわれた支部連の者たち数名による支社への抗議行動等と相まつて、支社側の態度を一挙に硬化させ、支社側をして、労使間の紛争の過程で往々起こりがちな、通常ならば格別の波乱もなく納まりそうなできごとに対し、管理者自身による至近距離からの写真撮影という非常手段をとらせ、この結果発生した事態等について告訴その他の手段をもつて対処させるに至つたようである。ことここに至るまでの過程を簡単にふりかえつてみると、支社側は当初は柳井問題について支部連の者たちと比較的おだやかな態度で話し合いに応じていたが、彼らの出方があまりに強引、執ように思われたため、本社の指示を仰いでにわかにその態度を変更し、柳井問題を純然たる社内秩序の問題とみる立場から、これに部外者である支部連の者たちが口をさしはさむ余地などないとするに至り、五月十一日夜の話し合いの席で、その後の話し合いを明確に拒否したのである。この結果支社側は、五月十四日抗議に来た支部連の者たちに対しても面会を断わり、帰るよう要請したが、彼らがこれを無視した行動に出たため、本件トラブルが起こるに至つたのである。この推移に徴すると、支社側の態度はそれなりに一応一貫しており、その立場に立つかぎり、支部連の者たちの行動は支社側に傍若無人の感を与えたであろうし、支社側が被告人らを傷害罪等の容疑で告訴したのも、あながちとがむべきことではない。また、本件各訴因について被告人らにその嫌疑がなかつたとはいいがたく、検察官が公益の代表者として公訴を提起したのも、やむをえなかつたと思われる。

しかし、支部連の側からみると、被告人らを含む支部連の者たちは、当日の抗議行動を組合員の権利と生活を守るための正当な組合活動と信じ、これが罪に問われるなどとは夢想もしておらず、また、彼らがこのように信ずるについては、それ相応の理由があつたと思われる。まず、当日山陽支社に押しかけた支部連の者たちをみると、この中には団体交渉等の経験者が少なくなく、彼らとしては、団結の威力を示すにあたつても、後日に問題を残さないよう、できるるだけ合法の線を守り、いやしくも刑罰法規などに触れることのないよう終始配慮していたと認められる。そのことは、彼らの当日の行動、たとえば、昼休みの時間を選んで抗議におもむいていること、抗議文を朗読し、これを手交したのち直ちに引き揚げる予定で、現に事務室には約三十分間ふみとどまつただけで、午後零時四十五分ごろ全員引き揚げていること、その間やや過激、執ような嫌いはあるが、ことさら暴力的言動に出た形跡はないこと、撮影されたフィルムを持ちかえるに際しても預り証を書き、後日新品のフィルムを届けていること等のうちにあらわれている。また、支部連が憲法上存立を保障された勤労者の団体であることは疑いなく、支部連がその常任委員である柳井の問題について重大な関心を寄せ、その権利と生活を守るため必要と認める相当の行動に出ることは当然許されることと考えられる。もつとも、柳井問題の解決については、柳井の属する山陽労組を通じ山陽本社と交渉するのが筋であるとの考え方もあるであろうが、支部連の柳井問題についてとりうる処置が理論的に右のような方法に限られるとは解しがたい(山陽労組の意思に反し、その利益を害する場合は別であるが、本件の場合かようなことは想像されない。)。したがつて、支部連の者たちが、柳井問題について山陽支社側と話し合いを行ない、これが拒否されたのちこの問題についてなお山陽側に抗議しておく必要があると認め、その行動に出たことは、やはり組合員の利益を守るための一方法として、社会的相当性を失わないかぎり是認されうることで、その目的自体は正当であつたといえる。しかも、当日の支部連の者たちの行動の背景には、山陽放送における合理化問題をめぐる労使の従来からのきびしい対立、これに根ざす支部連側の同放送に対する抜きがたい不信感、特に柳井の処分およびこれを契機とする組合弾圧への強い危ぐ感があつたことを看過することはできない。これが、支社側の五月十日から十一日にかけての態度の急変と相まつて、いよいよ両者の対立と不信感とを深め、そのあげく両者ともに相手の立場や言い分など顧慮せず、しや二無二自己の主張ないし立場だけを押しつけ、あるいは押し通そうとするに至り、この柔軟性を欠く両者の態度の激突が本件トラブルを招来したと思われる。このように考えてくると、当日の言動については、支部連側についてはもちろん、支社側にも批判されるべき点がないとはいいがたく、当日の支部連の者たちの行動には、その目的、立場、ことの経緯等からみて、ある程度やむをえない面があつたと認められる。したがつて、彼らの行動の過程に多少の行きすぎがみられるからといつて、直ちに、これを部外者の法を無視した集団暴力的事犯とみるのは、相当でない。

そこで、次に項を分つて、本件の背景と概況を明らかにしたのち、各公訴事実の問題点と同事実を有罪と認めがたい事情について説明することとする。

第二  本件の背景と概況

検察側証人と弁護側証人との各供述は、種々の点で大きく食い違つているが、少なくとも次の諸情況は、被告人らもほぼ認めているところであり、他の証拠に照らしてもまちがいないと思われる。

一、民放労連東京支部連は、昭和三十八年四月民放労連に所属する各単位組合の東京支部組合員が、単位組合支部単位で加盟し結成した地域支部連合体で委員長等独自の機関を有する労働組合であるが、昭和四十年のメーデーには東京支部連として参加することを決め、四月初めごろ、山陽放送東京支社の技術課員で支部連の常任委員でもあつた柳井宣二をメーデー実行委員長に選任し、熱心に参加の準備を進めていた<証拠省略>。なお、当時被告人古賀は支部連の書記長、被告人隈はその常任委員、被告人林および同具島はその組合員であつた。柳井は四月二十七日午前十時ごろ、上司の総務課長兼技術課長本間孝夫に対し、五月一日のメーデーに参加したいと申し出たが、その際自分が支部連のメーデー実行委員長である事実は秘していた。この柳井の申し出に対しては、本間課長は許否の確答を与えなかつた<証拠省略>。

二、一方、山陽放送は、無線局免許の有効期間が五月末日に満了するため、これの再免許を郵政大臣に申請し、その窓口である郵政省電波管理局放送業務課第三免許係との間で、四月上旬から数回にわたり、東京支社技術課を主管とし、同課長本間を中心として提出書類の調整等の最後の折衝を続けていた。四月二十七日午前十一時半ごろ、本間課長は郵政省の係事務官から電話を受け、同事務官との間で、次回打ち合わせ期日を五月一日午前と定め<証拠省略>、四月三十日午後一時ごろ、柳井に対しその旨を伝え、技術課員は柳井一人であるから、同人のメーデー参加は見合わせ、その日は会社で待機しているよう命じた<証拠省略>。

三、その後本間は、四月三十日午後三時ごろ、郵政省に行つていた際、全電波労組の書記長山下七郎から、「お宅の社員から(本当に五月一日郵政省は再免許に関する事務打ち合わせを予定しているのかどうか)調査を頼まれた。柳井をメーデーに参加させてやつてほしい。電波の方は私が話をつけるから。」と要望されたが、さらに同日午後七時ごろ、郵政省の担当係長からも電話で、「お宅の内紛にまきこまれたくない。全電波労組から会議中の業務課長に呼出しがかかつたりして迷惑している。課長と労組と話し合つた結果、明日の訂正事務は中止しよう。」と伝えられた。そこで、事態を憂慮した本間は、翌五月一日朝郵政省の担当係長を訪ね、事情を説明したが、結局、当日の打ち合わせは中止されるに至つた<証拠省略>。かようにして同日午前九時半ごろ帰社した本間は、柳井に対し、「君のおかげで訂正事務ができなくなり、当局の心証を悪くした。これほどまでしてメーデーに行かなければいかんのか。行くんなら行きなさい。」といい、そのあと直ちに柳井はメーデーに参加した<証拠省略>。

四、五月四日山陽放送東京支社長戸島志郎は、本間、柳井の両名に対し、五月一日に業務上のトラブルがあつたとして、これに関する各てんまつ書の提出を求めた。本間は五月八日これを提出したが、柳井は民放労連と支部連との双方に相談したうえ、てんまつ書は処分につながるものであるとしてこれを拒否し、提出しなかつた<証拠省略>。同月六日山陽放送の谷口社長は、郵政省に放送部長および業務課長を訪ね、前記の手違いについてわびを入れた<証拠省略>。

五、東京支部連の佐野委員長、被告人古賀、隈、林ら数名は、五月十日昼すぎ、柳井に対するてんまつ書問題の具体的情況の説明を求めて山陽支社におもむいたが、戸島支社長不在のため、本間課長が応待した。同日夕方になつて、佐野、古賀、隈、林らを含む支部連の者たち七、八名は、山陽支社で戸島支社長に、本間課長、小野連絡課長等も同席のうえ、会見することができ、柳井に対するてんまつ書要求を撤回するよう申し入れたが、支社長らは、てんまつ書の提出要求は、柳井のメーデー参加に関係はなく、また直接同人の処分にもつながるものでなく、単に郵政当局との間に発生した業務上のトラブルに関連する純然たる社内問題であるから支部連には関係はないと説明し、了解をえようとしたが、てんまつ書の提出要求が柳井のメーデー参加問題に関連すると考え、同人の処分につながると危ぐしていた支部連の者たちは、執ようにその要求の撤回を求め、午後八時を過ぎても話し合いはつかず、翌十一日夕刻から双方三名ずつで話し合いを続けることにして解散した<証拠省略>。その際支社側は支部連側の発言により、初めて柳井が支部連のメーデー実行委員長であつたことを知つた<証拠省略>。

六、五月十一日山陽本社の人事部長河内山重高が、柳井問題調査のため岡山から上京し、東京支社で本間課長らから事情を聴取したのち、柳井にも直接会い、同人を説得しててんまつ書を提出させようとしたが、柳井は頑として応じなかつた<証拠省略>。その間に、本間課長と人事部長に同行してきた山崎課長補佐の両名は、築地署を訪れた<証拠省略>。

七、五月十一日午後五時半ごろ、支部連は古賀、隈、林を含む約二十名で再び支社におもむき、支社長と会見した。席上、戸島支社長は、「本社とも協議したが、柳井に対する指示は変らない。この件については本社の人事部が窓口である。支社長には交渉権限がない。」旨を述べ、これに対し支部連の者たちは話が違うと反ばくし、午後八時過ぎまで激しい応酬があつたが、結局話し合いはつかず、物別れとなつた<証拠省略>。翌五月十二日朝、戸島支社長は支社の管理職を集めて「今夜彼らがきても自分は会わないが、やぶから棒に帰れということも失礼だから、一応自分に取り次いだうえで帰つてもらうように。」、「自分が不在の場合で不測の事態が生じたときには一応写真をとつておくように。」と指示した<証拠省略>。

同日夕方、翌十三日昼および夕方にも支部連の者たちが数名ずつで山陽支社を訪れ抗議しした<証拠省略>。

八、五月十四日午後零時十五分ごろ、被告人古賀、同具島、同林を含む支部連の者たち約二十名が山陽放送社長あての支部連の抗議文<略>をたずさえて山陽支社を訪れた。古賀書記長らは、カウンターに応待に出た小野課長に対し、「きようは話し合いではなく、抗議文を持つてきたから本社へ届けてほしい。」といつた。小野は、「支社長はきよういないからお帰り下さい。」といつたが、支部連の者たちが「追いかえすというのか。」などといつて応ずる気配もないので、数回「帰つて下さい。」といつた。そして「本間があそこにいる。」という声に小野の隣りまで出てきた本間も、「支社長からもいつてあるのに、大勢で来てもらつては困る。すぐ帰つてくれ。」といつた。そのあと、「どうして抗議文を受け取らないのか。」「郵送すればいいではないか。」「バック便もあるではないか。」などのやりとりのあと、両課長ともそれぞれ自席に引き揚げた。そのあとを追うようにして、古賀、林らの一団はカウンターから本間の席の方へぞろぞろと移動し、本間との間に、「逃げるな、逃げるとはひきようだ。」「張本人なんだから聞いてくれ。」「そんなものを聞く必要はない。」などのやりとりがあり、次第に双方の対立と緊張感は高まつていつた。かようなふんい気の中で、午後零時二十五分ごろ、具島が抗議文の朗読を始め、そのころ遅刻した隈がその場へ姿を現わした。具島が朗読中に突然、本間課長は、かたわらのファイリングボックスから、すでにセットされていたストロボ付のキャノンカメラ<略>を取り出し、具島を中心にして、二、三メートルの至近距離から、フラッシュをたいて写真を一枚とつた。具島は、ちよつと朗読を中止したが、すぐ続け、間もなく朗読を終えた。その瞬間、支部連の者たちの間から、「写真をとるとは何事か。われわれに挑戦する気か。」「あんた誰の命令で写真とつたのか。」「肖像権の侵害だ。」「フィルムを返せ。なんの証拠にするのか。」等、一斉に抗議の声が起こつた。これに対し本間は、さらに二枚目の写真をとろうと構えたが、かたわらにいた林がレンズの前に手を出したりなどしたため、果たさなかつた。また抗議の声があがつた。本間は、「自分のへやで写真をとるのがなぜ悪い。帰れ。」といい、小野は「帰れといつても帰らないやつはこじきか押し売りだ。」とどなつた。そのころ電話がかかつてきたため、小野は囲みから出て行つた。その場に本間一人残つたとき、古賀が「みなさん、フィルムを預りましようか。」と仲間にはかつたところ、皆賛意を表した。そこで、隈が本間に近づき、激しい口調で、「フィルムはなかつたことにしてもらいたい。」とか「フィルムを預らせてほしい一緒にカメラ屋に行こう。」とかいつた。本間は、前に持つていた前記カメラを両手で後ろにかくすとともに、事務室と応接室とのガラスの間仕切りあたりまで後ずさりした。付近にいた具島、林も隈と共同して本間のひじを押えるなどして間仕切りから本間席の方へ本間を押し出しながら、具島が「私がとられたのだから私が預ります。」といつてカメラを本間の手から取り上げた。そのもみ合いの際、カメラを取られまいとして抵抗した本間は、右拇指等に軽微な傷を受けた。具島は、直ちにカメラからフィルムを抜きとるとともに、その場で預り証<略>を書いた。それには、

「預 り 証

フジフィルム三十五ミリ三十六枚どり一本(二十九枚撮影ずみ)預ります。なお、現像してもどします。

理由 私たちは五月十四日正午すぎ抗議文を社長あてに手渡してもらうため読み上げましたが、この途中で本間部長が私たちを撮影し、不当な事件にデッチ上げようとする意図が十分うかがえますので預ります。

一九六五年五月十四日

民放労連東京支部連」

と記載されていた。具島は右預り証を朗読したうえ、これと抗議文を本間の机の上に置き、抗議に来た支部連の者たち全員とともに午後零時四十五分ごろ山陽支社を引き揚げた<証拠省略>。

右の背景および経過を頭に入れながら、次に起訴状記載の各訴因についてその成否を検討したい。

第三  公訴事実(一)(不退去)について

一、前記のとおり、当日被告人ら支部連の者たちが山陽支社に抗議文を持つてきた際、カウンター付近で小野課長らから何回か「お帰り下さい。」といわれたのにかかわらず、奥の本間の席の前までぞろぞろ入つていつたこと(もつとも、隈被告人はこの時点ではまだ支社に到着していない。)、写真撮影後支部連の者たちの間から一斉に抗議の声が起こつた際、本間の席付近で本間課長および小野課長から「帰れ」「帰れ」といわれたこと、および被告人らが約三十分間同所にふみとどまつていたこと(最初小野らからお帰り下さいといわれたとの点を除き、その余は被告人らも争つていない。」は、証拠上疑いがない(第二の八参照)。したがつて、まず問題は、被告人らの右の程度の行為が、刑法第百三十条所定の不退去罪にあたるかどうか、あるいは同罪として処罰に値いするほどの違法性を備えているかどうかにあると思われる。

二、被告人らが退去要求を受けながら約三十分間事務室にとどまつた前後の情況は、すでに説いたところによつてある程度明らかであると思われるが、さらにそれを補足し整理すると、次のような諸事情が認められる。

(1)  被告人らの本件抗議行動は、労働組合としての正当な目的に出た、ある程度やむをえない行動であつたと思われること。

検察官は、支部連は単なる連絡機関であつて労働組合にはあたらないと主張する。しかし、支部連は、前にも一言したとおり(第二の一参照)、民放労連に所属する各単位組合の東京支部組合員が、単位組合支部単位で加盟している地域連合体であつて、東京という特殊地域における組合員の連帯感を深めるとともに、その共通の利益を守り、労働条件の改善等経済的地位の向上を図ることを目的とした団体で、組合規約を有し、委員長、副委員長、書記長および常任委員等の機関を有し、しかも明らかにいわゆる御用組合ではないのであるから、憲法上その存立を保障された労働組合であることもちろんである<証拠省略>。そして、支部連としては、その常任委員でその年のメーデー実行委員長でもあつた柳井がメーデーに参加したことに関連して会社側からてんまつ書の提出を要求されていることを聞いてこれに重大な関心を払い、支社側から話し合いを拒否されたのちもなお、山陽側に抗議しておく必要があると認め、五月十三日夜の運営委員会でその旨決定したうえ、翌十四日昼支部連として抗議行動に出ることにしたのである(前出抗議文参照)から、この日とつた方法には多少批判の余地があるとしても、抗議におもむいたこと自体は、労組としては当然ともいえる行動であつて、別に違法視されるべき筋合ではないと考えられる。もつとも、支社側が柳井にてんまつ書の提出を命じた理由は、支部連側が主張するように、柳井がメーデーに参加したことを不当視したというよりも、むしろ柳井が同人に対するメーデー当日の待機命令を骨抜きにするために、ひそかに外部の者に働きかけて会社の業務予定を狂わせ、その面目を失墜させたように感ぜられた点、特にその間の柳井の言動が社内の秩序を乱して省みないようにみえた点を重視し、将来のためにその経過を明らかにしておきたかつたのではないかとの疑いが強い<証拠省略>。実際、柳井のとつた行動には相当の疑問を免れない。柳井はなぜ、本間にメーデー参加の希望を申し出たとき、自分がその年の支部連のメーデー実行委員長であること、したがつて出席しないわけにはいかないこと等の事情を、誠意ある態度で卒直に説明しなかつたのか。もし柳井がかような態度に出ていたならば、事態はこれほど悪化せず、あるいは若干異なる推移をたどつたように思われてならない。ところが柳井は、単に会社に対し右の事情を秘していただけでなく、本間から待機命令を受けるや、その場ではなんら態度をはつきりさせないでおきながら、すぐ裏にまわつて直接かどうかはともかくとして全電波労組の山下をとおして郵政省当局に対し、支社との間に予定された仕事を延期するよう申し入れさせているのである。かようなやり方は、フェアな方法とはいいがたく、支社側が柳井に対してんまつ書の提出を要求したのも、やむをえない事の成りゆきと思われる。しかし、他方支部連としては、この問題について柳井から報告を受けた際、山陽放送における合理化問題をめぐる労使のかねてのきびしい対立状態(柳井の本社から支社への配置がえについての同人らの疑惑を含む。)等からみて、てんまつ書の提出要求がメーデー参加に関連し、かつ同人の処分につながるおそれがあると考えたとしても、これまた別に不思議ではない。

(2)  支部連の者たちが当日山陽支社におもむいたのは、話し合いのためではなく、支部連が決議した山陽放送社長あての抗議文を手交するためであつたこと。したがつて、このことをカウンターで被告人らから知らされた支社側も、彼らの滞留時間をある程度予測できたと思われること。

(3)  支社は営業を主体とする関係上、その事務室も、用のある者は誰でも、比較的自由に出入りできる開放的な構造になつていたこと(ただし、本件直後の五月十八日ごろ、右事務室は、カウンターの横に内ドアを設けることによつて、ひとが自由に出入りできないように改造された。本間の供述記載)。現に被告人らのうちには、同じ民放会社に働く労組員として以前から同所に自由に出入りしていた者もあり、また柳井問題発生後も、五月十日昼以来数回にわたつて同所に出入りしており、その際は別にトラブルを起こしていないこと(第二の八参照)。

(4)  抗議行動は支社の昼休み時間中にすまされており、支社の業務には格別の支障を与えなかつたと思われること(第二の八参照)。

(5)  支部連の者たちに支社事務室の平穏を故意に乱そうとするような積極的な意図があつたとは思われないこと。現に、本間による写真撮影が行なわれるまでは、彼らの言動も比較的平穏であつたと思われること(具島の供述)。

(6)  支社の小野課長らが支部連の者たちに対し、カウンターのところで何回か帰つて下さいといつてその退去を要求したことは認められるが、話し合いでなく単に抗議文を取り次いでくれといつてきた者たちに対し、いきなりすげない態度で退去を要求することは、事ここに至るまでの経緯からみてある程度やむをえなかつたとしても、労使の対等を実現しようとする憲法第二十八条の精神あるいは広く行なわれている労働慣行に徴し、いささか妥当性を欠くうらみがあつたと思われること(支社側が彼らから抗議文を受け取つたとしても別段支障が生じたとも思われないし、現に本件以降支社側は数回にわたつてトラブルなしに彼らから抗議文を受け取つているようである。古賀の供述)。また、支部連の者たちが本間の机の前に進んでいつた状態は、支社側の者の制止、抵抗を排して勢いよく押し入つていつたというような情況ではなかつたこと。

(7)  本間がフラッシュをたいて具島らを写真撮影ししたのち、支部連の者たちの間から一斉に抗議の声が起こり、一時騒然となつた際、本間らが「帰れ」「帰れ」と何回か叫んだことは認められるが、これは被告人の激しい抗議のことばに対し、本間が「自分の家で写真をとるのがなぜ悪い。帰れ。帰れ。」といい、小野が「帰れといつても帰らんやつはこじきか押し売りだ。」とどなつた際に発せられたことばで、売りことばに買いことばというか、主として被告人らの抗議に対抗するためのものであつたと解されること(第二の八および具島の供述参照)。

(8)  支部連の者たちが室内にいることを受忍することによる支社側の業務上の支障と山陽側に抗議ができないという支部連側の不利益とを比較検討すると、前記のような背景および諸情況のもとでは、必ずしも前者の利益が優先するとはいいがたいこと。

以上の諸事情を総合して考えると、被告人らが支社側から要求を受けてその事務室から退去しなかつた行為は、刑法第百三十条所定の不退去罪として処罰するほどの違法性を備えていないと認めるのが相当である。

第四  公訴事実(二)(傷害)について

一、本件傷害が発生したと思われる事情は、これまですでに説いたところによつてある程度理解されると思われるが、これをさらに補足、整理すると、

(1)  本間は、被告人ら支部連の者たちの行為を、明らかに不法な行為と考え、その証拠を保全するため写真撮影したと思われるが、その方法は、前に一言したとおり(第二の八参照)、二、三メートルの至近距離からフラッシュをたい、具島らの顔写真をとるという、当時の緊迫した情況のもとでは明らかに挑発的とみられるような方法であつたこと。

(2)  被告人らは、写真をとられた瞬間、従来の山陽放送の労務政策等からみて、その写真がどのようなことに利用されるかについて強い不安を抱かざるをえなかつたこと。

(3)  このため被告人らは、肖像権をたてに、本間に対し、抗議的あるいは説得的態度で、そのフィルムを破棄し、あるいは引き渡されたいと強く要望したが、本間は強いことばと態度でそれを拒否し、さらにかたわらにいた小野が被告人らを口汚くののしつたこと、そこで古賀がみんなにはかつてカメラを本間から預かることにし、本間の近くにいた隈、具島、林が、左右および後方から本間に迫り、カメラを両手で背後にかくすようにしてじりじり応接室とのガラス間仕切りの方へ後退する同人のひじを押えるなどして、その手からカメラを取り上げようとしたが、同人がこれに抵抗したため、同人との間にカメラを取る、取らせまいとするもみ合いが起こり、その結果同人に対し軽微な右拇指挫創等の傷害を負わせるに至つたこと(傷の程度については多少疑問があり、後述する。)(この点についての双方の証拠の信用性について一言すると、検察側と弁護側との各証人は、立場の相違による見方や感じ方の違いがあるためか、意識的あるいは無意識的に自己側の主張を裏づけるのに都合のよい供述をしようとするためか、特に被告人らの有形力の行使の点については、その食い違いがはなはだしく、一方は積極的に、他方は消極的に事を誇張しているように思われ、いずれもそのままこれを信用することは困難である。ただ裁判所としては、その前後のまちがいないと思われる情況等からみて、上記のように判断するほかなかつた。)

等の情況が認められる。

なお、証人本間および小野の各供述記載によると、古賀も右もみ合いに加わつていたということであるが、これらの各記載は、被告人古賀の当公判廷における供述とその態度、証人野田、田村、越智、柴田の各供述および被告人具島の供述に照らして措信しがたく、他に右の点を肯認するに足りる証拠はない。

二、労使の紛争に際しても、いやしくも「暴行」と認められるような有形力の行使が許されないことはいうまでもなく、どのような事情があつたにせよ、被告人ら(ただし、古賀を除く。以下同じ)が前記のような有形力を行使し、本間に対し、たといわずかでも傷を負わせたことは、まことに遺憾であり、この点については、被告人らにも強い反省が望まれる。

しかし、前記のような複雑な背景をもつ労使間の紛争の場において、支部連の者たちにいまだ不退去罪等の成立を認めがたい状況のもとで、彼らの当面の相手方と目されていた支社側の責任者が、突然二、三メートルの至近距離からフラッシュをたいて彼らの顔写真を、明らかにその意思に反することを知りながらあえて写すということは、全く相手方の人格を無視した挑発的行為であるといえる。ことばをかえていうと、その行為は、前後の情況からみて、相手方にあらわな敵意を示し、その主張および態度をまつこうから否定し、労働者意識に燃える被告人らを許しがたい無法者として取り扱おうとする侮辱的印象さえ与えかねない行為であるといつても過言ではない。このように考えてくると、本間の写真撮影行為は、被告人らがある程度その原因を作り、本間らの立場においてはやむをえない対抗措置とも思われたであろうが、かような事情をくむとしてもなお、自他の人格の尊重を基調とし、勤労者の団結権を保障することによつてできるだけ労使の対等を実現しようとする現憲法および関係法規の精神に照らし、失当のそしりを免れない(憲法第十三条、第二十八条等)。

したがつて、被告人らが本間の行為に抗議し、その撮影したフィルムの破棄ないし引き渡しを要求したこと自体は、当然のことであり、なんら違法視されることではない。ただ、右の要求を実現する方法にはおのずから限度があり、社会的に容認される限度を逸脱することがあつてはならない。端的にいうと、原則として「暴行」とみられるような有形力の行使はいつさい許されないと解すべきである。したがつて、被告人らが直接本間の手からカメラを取り上げようとしたことは問題であるが、被告人らの有形力の行使およびその結果が、刑法上暴行罪あるいは傷害罪として処罰に値いするかどうかは、それが生起した背景、被告人らの意図、行為の態様等を吟味するとともに、傷害の程度をし細に検討し、関係法規秩序全体の精神に照らし、慎重に判断しなければならない。

(一)  まず、右の背景的情況としては、すでに説いたところによつてほぼ明らかであると思われるが、なお補足的に述べると、次のような諸情況、たとえば、

(1) 被告人らは、カメラを一時取り上げようとしただけで、本間の身体に積極的に暴行を加えようとしたのではないとみられること。

(2) 写真がどのようなことに利用されるかわからないという不安は、被告人らの抗議に対する本間や小野の言動によつていつそう深められたと思われること。

(3) 本間が、被告人らの口頭によるフィルムの返還等という、被告人らとしては当然と思われる要求を拒否し、全然これに応ずる見込がない場合、フィルムを渡せといつてカメラに手をかけひつぱる程度のことは、われわれの日常生活においても、この種の緊迫した異常な事態に直面した者が、往々、思わずとりがちな態度で、特に常規を逸した行動であるとはいいがたいこと。やや観点を変えていうと、この際の被告人らの行動を正しく評価するためには、本間の行為の挑発的意義およびこれに対する被告人ら労働者意識に徹した者の心理的反応を看過すべきでないと思われること。

(4) 当時支社には本間、小野のほかに二、三の山陽の社員がいたと思われるが、本間は別に助けを求めていないし、社員も本間を助けにくるほどの情況でなかつたこと。

(5) 被告人らは、現に労組のリーダーであるか、またはその経験を有する者ばかりで、いやしくも刑罰法規に触れるような行為は、相手方に乗ずる機会を与えないためにも、慎むべきであることを十分承知していたと思われ、実際これまで一度もかような暴力的事犯に問われたことなどないこと。

(6) カメラを本間から取り上げたのちの具島らの言動―特に仲間にはかつて預り証を書き、後日新品のフィルムを届けていることなど―をみると、かなり興奮していたと思われるのに、なお細心の注意が払われており、彼らの態度は、激こうのあまり理性を失い、集団で暴力に訴えるというようなものではなかつたと思われること

等の事情が認められる。

(二)  次に、傷害の程度については、

(1) 本間が本件傷害を受けた際あるいはその直後、なんら痛みを訴えるような発言をしておらず、他人から右拇指のあたりに血が出ていることを指摘されて初めてその傷に気付いていること<証拠省略>。

(2) 支社事務室には救急箱の備えがあり、本間は少し以前に支社で手指をけがした際にはそれで応急措置をしたのに、本件の場合には全然かようなことをしていないこと<証拠省略>。

(3) 本間は、支社の近くに専門の外科医がいるのに、受傷後六時間近くたつてから、わざわざ、支社からも自宅からもほど遠い所にある、親しい内科、小児科専門医を訪ねて手当を受け診断書をもらつていること<証拠省略>。この事実は、本間が医者を訪ねたのは、主として診断書をもらうためであつたのではないかとの疑問を否定しがたいように思われること。

(4) この医師を証人として尋問した結果によると、同人は当日本間のけがを「右拇指挫創兼左手背打撲挫傷、加療約十日間を要する。」と診断したが、右拇指挫創については、せいぜい二、三日で治る程度のものと判断しており、また、左手背打撲挫傷はいわゆる打身で、患者の訴えに左右されるところが大きく、医者といえども、その程度を正確に判断することは困難であると思われること<証拠省略>。

(5) 本間は、当日被告人らが引き揚げた直後、左示指のつけ根の部分がすごくへこんでいて、それが夕方になつて痛んできたというが、これは被告人らがその部分に圧力を加えたためというよりは、本間がカメラを取られまいとして強くこれをつかんでいたためにできた傷ではないかと思われること(これは本間自身認めるところである。)(なお、当日診察した青木医師は、本間が左示指のつけ根が痛いとは特にいつていなかつたと述べていること、五月二十二日には左手背がまだはれていたという本間証言に対し、青木医師はその日には腫脹はなかつたと述べていること等からみて、本間の傷害の程度についての供述部分には、不快きわまる過程で被害を受けた者として、また被告人らと対決しようと決意している者として、意識的にか無意識的にか、その表現が誇張に流れている点もないとはいえないように思われる。)

(6) 逮捕状では加療十日間となつていた傷害が起訴状では治療約五日間を要する傷害と変つているが、この「五日間」というのも、認定の根拠が必ずしも明らかであるとはいえないように思われること。

(7) 本間がこの傷のためその執務や日常生活に特に支障を来たしたような形跡はないこと

等の諸情況が認められ、これらに徴すると、本間が当日受けた傷が果して治療約五日間も要する傷であつたかどうかは疑わしいと思われる。要するに、本間の受けた傷は、日常の生活にはほとんど支障を来たさない、普通ならば医者の診療を受けるかどうかさえ疑わしい程度の、きわめて軽微なものであつたと解される。

この傷の程度と前記の背景的情況等とを合わせ考えると、被告人らが本間の手からカメラを取り上げる際に行使したとみられる有形力は、当時の情況のもとでは、撮影されたフィルムの破棄等を求めるという正当な要求を実現するための方法として、ある程度現実的にやむをえない、心理的にも無理からめ、しかも全体的にみて、いまだ常規を逸しているとは断じがたい程度のものであつたと思われる。いわばそれは、社会的に容認される限度を明らかに逸脱した行為とは認めがたく、その違法性の有無については、多分の疑いを免れない。

したがつて、右のような有形力の行使により発生した軽微な結果を、単に外形的にとらえ、刑法第二百四条の傷害罪として処罰するのは、同条の立法趣旨および法秩序全体の精神に照らし、相当でないと思われる。

第五  公訴棄却の主張に対する判断

なお弁護人らは、本件公訴の提起は、日韓条約の批准を間近かにひかえた、当時の微妙な内外情勢を背景とする政府の言論弾圧の意図にこたえ、かねて強力な合理化対策を推進してきた山陽放送を初めとする各民放の経営陣が、政治権力に密着する警察・検察権力とひそかに結託し、政府の意図や合理化に強く反対する組合活動家に対し、あらわな弾圧を加え、組合を破壊しようとする目的で行なわれたものであるから、その手続は憲法第十四条、第二十八条、刑事訴訟法第一条、第二百四十八条等に違反して無効であり、同法第三百三十八条第四号にのつとつて公訴を棄却されるべきであると主張しているので、この点について一言する。

本件起訴状に掲げられている各訴因は、その記載自体に格別あいまいな、あるいは不合理な点はなく、これらがそのまま立証されるならば、他に特別な事情が認められないかぎり、刑罰法規に触れる行為として処罰に値いするものと考えられる。また、審理の結果に徴すると、すでに明らかにしたとおり、被告人らの当日の抗議行動は、組合活動として正当な目的に出たものと認められるが、これを実現するための方法は、―事の成り行き上ある程度やむをえない面があつたにせよ―なお刑罰法規に触れるおそれ、つまり犯罪の嫌疑を免れなかつたものである。したがつて、検察官が、本件について適法な告訴に基づき捜査した結果犯罪の嫌疑があるとして公訴を提起したのは、公益の代表者としてやむをえない処置であつたといえる。しかも本件公訴は、法の定めるところに従つて適式に提起されているのであるから、たといこれについて弁護人らの主張するような不満や危ぐがいだかれたとしても、それは検察官に幅広い裁量を認めている「起訴便宜主義」のもとでは、多かれ少なかれ避けがたいことで、これを根拠に公訴提起の手続自体まで無効とするのは相当でない。右の理由で、弁護人らの主張は採用することができない。

第五  結 論

以上のとおり、本件公訴を棄却する理由はなく、また被告人らの本件各所為は、不退去、傷害いずれの点についても、結局犯罪の証明がないことになるので、刑事訴訟法第三百三十六条にのつとり、無罪の言い渡しをすることにした。

そこで、主文のとおり判決する。(横川敏雄 花尻尚 本郷元)

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